子育て

大変だけど、笑っちゃう

工学研究科 田川 美穂

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毎朝準備に3時間もかかってしまう。その間のんびり朝食を食べていたわけではない。ずっと息を切らせながら準備をしているのだが。何とか短縮したいが、どうにもならない。毎朝必ずといってよい程事件が起こる。一人で二人の乳幼児をみるというのは、常に戦闘状態である。夜中何度も起こされるため、寝不足も辛い。

1.名古屋大着任と保育園入園

保活に関しては失敗談としての紹介になってしまうが、参考にして頂ければと思う。

昨年5月に名古屋大に着任する前は、NY州のブルックヘブン国立研究所で研究していた。当時は夫も同じ研究所勤務で同居だったので、海外生活の不便さを差し引いても今よりは普通の生活ができていた。アメリカで骨をうずめるつもりはなかったため、夫婦で日本のポジションを探していた。私の方が先に見つかったため、当時1歳の娘を連れて帰国することに決めた。夫はアメリカ、実家は東京という厳しい条件だが、学内保育園や児童保育があることを知り、名古屋大ならできると決心した。しかし着任にあたっては大きな困難があった。

2012年3月採用決定。名古屋の待機児問題は認識していたものの、採用が決まったら当然学内保育園が受け入れてくれるものだと思い込んでいた。しかし学内保育園は募集時期が決まっており、入れないことが判明。慌てて千種区へ相談するが、待機児童が名古屋市だけで200人近くと聞かされる。着任日を5月1日として部局で承認されてしまったため、何が何でもその日に着任しなければならないとのこと。困り果てた挙句、毎晩NYからSkypeで名古屋市のインターナショナルスクールへ片っ端から電話した。何とか週3なら受け入れてくれるというスクールを見つけ登録。残り2日は学内のこすもす保育園の一時保育を利用する予定でいた。しかし両者とも高額で、近々常時保育に入園できる可能性があれば一時的な出費として許容できるが、こすもす保育園は1歳児が多いため、来年度も募集しない可能性が高いとのこと。インターナショナルスクール又は一時保育で長期しのぐというのは、経済的に無理だと思った。

そんな折、幸いなことにどんぐり保育園に空きができ、途中入園できることになった。月齢からすると一つ下のクラスだったが、こんなありがたいことはない。着任日から1か月遅れでやっと帰国できることになった。

 

 

2.親はいつまでも元気とは限らない

名大着任を決心した裏には、両親のバックアップがあった。実家は遠方なものの、行き来しながら手伝ってくれるというので、大船に乗ったつもりいた。しかし、当然親も高齢。応援してくれる気持ちがあっても、いつまでも元気とは限らない。

着任時は毎週のように名古屋に来て手伝ってくれたものの、父の体調不良が徐々に進行し、二人目出産の時には母が東京を離れることが難しくなってきていた。妊娠性のヘルニアによる腰痛と歩行困難で、保育園の送り迎えも出勤も難しい状況になっていたのだが、同じ保育園に子どもを預けている近所の方が車で送り迎えを手伝ってくれたり、また陣痛が来たときにはすぐに連絡をくれるようにと言ってくれたことが本当に有難たかった。遠くの親戚、近くの他人とはこういうことを言うのだと思った。

幸い陣痛は夫の年末年始休暇までやってこず、予定日通り年明けに出産した。夫もいる時だったので、出産自体は何も心配はなかったが、卒論修論の忙しい時期なので体調も戻らないまま、産後1週間で新生児を抱えて大学へ戻った。そしてそこから本格的な単身子育て生活が始まった。