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1 セミナー講演記録(3)

(伊藤)このたびはこのような講演の機会を与えていただきまして、どうもありがとうございました。今日はこれまでの私の数学と出会ってからというタイトルを付けましたが、研究者になってからというよりは、研究者になるまでの方がまだ長いので、まぁそこまでのお話をして、学生の皆さんの参考になればと思います。研究者になるまでと言いましたが、名古屋大学に赴任したのは昨年の7月です。それまで助手をしていたり学生だったとき、かなり自分自身では大胆なことをしてきたと思ってきたんですけれども、前の先生方の話を聞いていましたら、もっと大胆なことをしてもよかったのかな、いいんだ、このまま続けていこうというふうに感じました。一般の人に、数学をやっているというと、「えーっ!」と引かれてしまうことがよくあるんですけれど、じゃあ何やってるかというと全然イメージがわかないといわれるので、「数学」とはなんか身近な単語なんだけど人には分かってもらえない、でも私は好きっていうものなんで、今日はそれについてお話ししたいと思います。

 現在の私についてですけど、仕事はご紹介いただいたように多元の講師をしています。専門は代数幾何というものをやっています。詳しいことはここに書いてあるとおりなんですが、私生活の方というのは実が夫が京都の大学に勤めていて、子供が小さいということもあって、京都から新幹線通勤をしています。これは結構体力的にはつらいものがあるんですけれど、子供との生活も楽しみたいし仕事もやりたいという、欲張りから来ているものです。まず最初に学歴をお話しします。すでに話された先生の中に、何人か東京の出身の先生がいらっしゃいましたが、私自身も東京の出身で、わざわざひたすら部活の日々と書いたのは、あまり勉強してなかったことを強調したくって、その、天罰というか1年浪人をしまして、駿台予備学校というところに行きました。数学の研究との出会いと書きましたが、予備校の先生は半分ぐらいが大学の先生もしている方々で、「今こんな問題を考えていて、誰か分かったら教えてくれ」とかいうような話をされることがあって、「わぁ数学の研究ってすごく面白いんだ、面白そうだ、やってみたいな」って感じたのが予備校時代でした。

 ちょっと(画面の)数字が気になる方がいらっしゃると思うんですけれど、一応、今日、女子学生のエンカレッジセミナーということで、女子というのを意識したときにその行っていた学校、学年でどのくらいの割合が女性だったかというので、すでに高校からもう半分を切っているんですけれど、まぁ予備校はいいかげんな数ですが、その後、大学に進学しまして、私の学年は特別だと思うんですが、20パーセント女性でした。このときはバブル絶頂期なので、もう世の中じゅうが浮かれまくっていたときなので、私もサークルとかアルバイトとかもしていましたが、やっぱり一番印象に残ったのは自主ゼミ活動でした。

 自主ゼミ活動というのは、大学院生に本を紹介してもらったり、彼らの指導のもとで自分たちの読みたい本を読んだり、自分の読みたい本を友だちといっしょに勉強したりということをしました。実は名古屋大学には自主ゼミ合宿というものがずっと続いていまして、当時ももう始まってから10年以上たっていたんですけれど、代々受け継がれていて、面倒みてもらっていた学生が大学院生になって面倒みるというような形で続いていました。たまたま私は大学2年の夏から参加したんですけれど、理学部の同じクラスだった女の子が比較的そういう自主ゼミ活動に興味ある人たちだったので、その人たちと一緒に参加しました。彼女たちは今どうしているかというと、大学を出て就職した人もいれば、大学院に進学した人もいますが、ほとんど皆、ほとんどというか全員、仕事を続けていまして、研究職に就いています。

 バブル絶頂期だったので、大学4年の時の就職はすごくよかったわけですけれど、あえてそれは蹴ってというか、あまり興味がなかったので、大学院の方に進学しました。というのは、もともと予備校時代に数学の研究をやりたいと思っていたんですけれど、大学に入って、1年生の…今、自分も教えているんですけど…線形代数の講義なんかを聞いたときに、これは私の求めていたものじゃないというふうに思って、すごく不満があって、とにかく研究というものをしてみたいと思っていたので、比較的早い時期から大学院進学というのは考えていました。高校が東京だったこともあり、もともと実家も東京なので、大学を卒業したら東京に戻るという親との約束もあって、それを目指していて、東大の大学院に無事合格しました。ここに書いてありますが、今、代数幾何が専門といいましたけれども、勉強、それから名古屋と東大という、多少レベルの差があったので、大学院ではかなり必死に勉強しました。多分、修士1年の頃は体重が5、6キロ痩せたりとかして、もう精神的にもかなりまいってたんですけども、でもすごく勉強が面白かったし、両親と住んでいたので生きてられたのかなって気はします。修士論文ができて研究集会とかで発表できるような感じになってきて、そうするとまたいろんな人と出会うことができて面白くなりました。ドクターになってから初めて海外…大学時代、バブル絶頂だったので、大学の卒業旅行に海外に行くっていうのが、私たちの学年では定番だったんですけど、当時私はそういうふうにはならなくて、海外には行っていなかったので、初めて海外に行ったのは大学院博士課程です。海外での研究集会に出席したり、そこで知り合った人に呼ばれてイギリスに留学したりとかいう経験をしました。そのあたりからの写真がちょっと向こうの方に貼らせていただいたので、またご覧下さい。

 職歴の方ですけど、ドクターを2年で取って、一応、1年浪人した分をそこで挽回して、そのあと3か月間だけ京都大学の数理解析研究所という日本で唯一の国立の数学の研究所で研究三昧の日々をしました。このときは1人暮らしだったので、朝から晩まで数学漬けで、ご飯食べながら本を読んでいたりとかいう、すごくそれは幸せだったんだけど、多分続けていたら体を壊していたでしょう。その後、ドクター終わるころにほとんど決まっていたのですが、都立大学の理学部の助手に就職しました。7年と書いてありますが、下を見ていただくと分かるとおり、これ以外にも短期のものがあって、ほとんど半分ぐらいは海外に行っていたんじゃないかと思うんです。その途中で結婚とか妊娠とか出産とかいろいろな事件がありました。ドイツのマンハイム大学という古い大学なんですけれども、そこに1年間、これは留学というか向こうの助手のような形で研究員として滞在しました。向こうで英語でなんですけど、講義をさせてもらう機会なんかも与えていただいて、結構自分の研究に役に立ちました。

 その後、皆さんに特に強調してお伝えしたいのは、イギリスの4か月の海外での研究なんですけども、このとき夫がノルウェーに海外出張していたので、まぁノルウェーとイギリスなら近いからいいやっていうんで、娘を連れて2人で留学して、娘は半分迷惑だったかもしれませんが、それなりに海外での研究生活、それから海外での保育園の子供たちの様子っていうのも知ることができて面白かったです。昨年、先ほどいいましたように名古屋大学の方に、結果的には戻ってまいりまして、現在に至る。現在は講義担当したりしているわけです。さらに、ここに書いてある女子大学院生セミナーというのをやっています。これはまったくカリキュラムにはないものなんですけれど、ここでいちばん前に2人座っているので、詳しいことは彼女たちに聞いていただければ分かるかもしれませんが。女子大学院生だけを探してくると、そんなに、専門もみんな違うしお互いに数学の会話も成り立たないわけですけど、分野が違っても、発表し合って質問し合って、プレゼンテーション能力を高めたり、あとはもともと女子学生が少ないので、コミュニケーションを取るとか情報収集する機会を増やすというために始めました。

 私が今、数学をやっている原因を作った刺激の数学編ですけども、先ほどお話ししたように、予備校で数学の研究に触れました。大学時代なんですが、フィールズ賞という数学のノーベル賞と呼ばれるものを受賞された広中先生が主宰されるJAMS(ジャムス)セミナーというものに参加しました。で、JAMSっていうのは日本数理科学振興会の略なんですが、これは日本の学生とアメリカの学生が半々参加して、1週間ぐらい全部英語なんですけども滞在して、お互い興味が合ってることを発表しあうというものでした。そこにはノーベル賞受賞者とかいろんな自然科学の分野の著名な方々が世界中から呼ばれて講演をされるんですけども、たまたまフィールズ賞受賞直前の森重文先生とそこで出会って、いろんな人と出会ったり数学の話を聞いたりして、この広中先生とか森先生っていうのは代数幾何の専門家なんですけど、そこで刺激を受けて代数幾何をやろうと決心しました。

 その緑で、京大との自主ゼミ合宿を開始しました。JAMSセミナーでいろんな大学の大学生、大学院生と知り合うことができたので、理学部の、名古屋大学の自主ゼミ合宿をさらに拡張した形で、京都大学の理学部の人たちと自主ゼミ合宿をしました。これは私が始めたんですけど、それからずっと10年以上、今までも続いているようです。最後、最後というか院生時代ですけども、これは早稲田大学の特異点セミナーというのは1回限りのものではなくて、毎週早稲田大学にいろんな大学の先生方や学生が集まってくるセミナーで、詳しい議論をやったり、いろんな、私自身の数学の研究の精神を培った場所です。そこにいらっしゃった女性数学者の石井志保子先生という方がいらっしゃったんですけども、そこで初めて女性数学者というものに出会いました。毎週会っているので、日常生活の話を聞いたり、いろんなことを知るきっかけというかチャンスがありました。「女性編」ですけれども、ドイツ留学中マンハイムにいたときに出会った女性研究者というのは、数学者に限らないんですけど、子連れで海外出張するというような人にもここで出会って、「あ、こういうこともありなんだ」って気づいたことで、私はイギリスへ行くときに子供を連れてったのです。それから「海外」の方なんですけれど、日本の女性の数学者の間には何も会のようなものは存在しませんが、アメリカとかヨーロッパ、とくにイギリスには、女性を対象にした数学者の活動をもっと広く、自然科学者の活動があります。
 この写真は載っているのは女性ばかりなんですけど。。。

 ドイツにある、後ろの方見えるかどうか分かりませんが、黒い森というところでの写真です。その森の中に数学の研究所があるんです。そこの研究所は基本的に研究員がいなくて、毎週毎週メンバーが入れ替わって、テーマも入れ替わって、人がやってきて研究集会をやるという場所です。そこに初めて女性だけの数学者と物理学者の勉強会というのをアプライしたところ、所長さんが感銘を受けられて、できました。その後ろに写っている網のようなものは、下の方が写ってないのですけど、BOY曲面という奇しくもそういう名前が付いている曲面の模型でして、あえてその前で女性たちの写真を撮りました。で、ドイツというのも日本と同じように第二次世界大戦後に工業で発展した国なので、女性が少ないんですけれど、実際にはフランスとかイタリアとかに行くと大学の数学科の学生は女性の方が多かったりします。

 ここに本を3冊持ってきました。ひとつはヨーロッパ女性数学者会議主催のシンポジウムの論文集です。中には参加者の写真もたくさんあります。またこちらの「二人で紡いだ話」を書かれた米沢富美子さんは日本物理学会の会長もされた方ですが、お子さんが3人いらっしゃる方で、まぁかなり精力的に研究を進められた様子なんかが分かって面白いんじゃないかと思います。最後のマイライフっていうのは、あんまり知られてないんじゃないかと思うんですけども、先ほどお話しした石井志保子先生をはじめ、猿橋賞という女性科学者に贈られる賞の受賞者が20人、本に、自分のマイライフですね、人生というか、これまでのことについて書いてる本なんですけど、これはあいにく英語で書かれていて、で、出版社は実は海外に販路を持っていない出版社なので、あんまり売れてないかもしれないんで、もし興味がある方は買ってあげて下さい。

 以上なんですけども、とにかく先ほど書いたような、こういう意識でやっていければ、何をやっても後悔しないんじゃないかな、それから先ほどの先生方のご意見を聞いて、私もこれからこれでいかなきゃいけないなと改めて思いました。どうもありございました。(*拍手)


(金井)どうもありがとうございました。それでは続いて山本先生の方からお願いしたいと思います。


(山本)工学研究科の化学生物専攻で今、講師をしております山本と申します。経歴はチラシを見ていただければおわかりいただけると思います。今日、こうした場で話をさせていただくことはとてもありがたいと思うんですが、話をさせていただくことよりも、こうやってみなさんの、大先輩方の話を聞かせていただけたことに、大変感謝致しております。多分、皆さん出席されている方も、いろいろ先輩方の話を聞いて、なんでしょう、自分で道を切り開いて来られたという感じがすごくしたんじゃないかなと思うんですね。私の研究者としての経歴なんて、まだすごく浅いですし、女子学生エンカレッジセミナーということなんですけど、女性ということをまだそれほど意識したことって、あまりないですね。というのは、周りの人や環境に恵まれていたこともあるでしょうし、昔と比べて時代が変わったということもあるでしょう。私がまだ独身で子供もいないこともやっぱりあるでしょう。そういったことで、私は、女性であるということを、まだあまり意識せずにここまでやってきました。ですから、女子学生エンカレッジセミナーといっても、一体何を話せばいいんだろう、うちの研究室の学生は知ってると思うんですけど、今朝の段階で、何をしゃべろう、といった状態でですね、大した資料も作ってこられなかったんですが、私がこれまで歩んできた道を紹介できればと思います。全然、大した道じゃないんですが、紹介するのも恥ずかしいぐらいなんですけども、そういった意味では逆に皆さんに近いんじゃないかなと、皆さんには失礼なんですけど、まだ皆さんに近い方の立場としてお話できるんじゃないかなという気もしています。

 そうですね、最近は女子学生が強くなって、逆に男子学生が元気がないなと思うこともしばしばあるんですが、女子学生エンカレッジセミナーっていうのがあるからには、やっぱり現実にはなにかエンカレッジしなければいけないような、社会に出てから、逆境みたいなものはあるんだろうなと思います。私の歩んできた道を簡単に紹介させていただきますと、1990年、大学進学、私も名古屋大学の卒業で、応化合成化学科に入るわけなんですけども、最初は環境問題に興味がありました。まぁはやりですね。環境というのがいろいろ取りざたされてきたときだと思うんですけども、高校生の私にとっては逆に化学って結構なんだか悪者っていうイメージも少しあったんですね、でもそれを解決するのも化学だろうと思って、化学の道に進んできたわけです。大学に入りました。で、環境問題に興味を持って入ってきたわけなんですけども、大学に入って分子認識、分子認識っていう言葉をちょっとどんな機会に聞いたか覚えてないんですけども聞きました。先輩方の話を聞いていると、「これだっ!」て思えることに出会った瞬間があったというお話でしたが、私にとっては多分これだったんだと今、思うわけなんですけども、分子認識という言葉に非常になんかこう、わくわくするものを感じました。分子が分子をどうやって認識するのか。目も手も耳も鼻も何もないわけですよね。分子はどうやって分子を認識してるのかということにすごく興味を持ったんですね。

 それから大学1年生の講義の時に、応用化学の教授が1人1人回ってきて、自分の研究に関連した話をされるのを聞いたときに、サリドマイドという薬、睡眠薬の新聞記事を配られた先生がいました。それに非常に衝撃を受けました。サリドマイドというのはご存知の方もいるかと思うんですが、睡眠薬なんですけども、飲んだ妊婦さんに奇形児が生まれてしまったという薬ですね。これは、文系の方もいらっしゃると思うので、ちょっと難しいかもしれませんけども、野依教授がノーベル賞とられましたよね、右手と左手の分子のことで。この分子には右手と左手、鏡像の関係にあるものが存在するんですが、この鏡像、右手と左手の分子の混ざりもの、あとでちょっと話しますけども、これを薬として用いたために奇形児が生まれてしまったというような話なんです。私たちの右手と左手、鏡像ですよね。鏡に映した形です。同じように親指、人差し指、全部付いてるのに働きが違う。同じように、サリドマイドの鏡像体は同じ働きはしないんですね、私たちの体の中に入ったとき。この新聞記事を見たときに、これだっ、て思ったんですね。専門の用語でいうとキラリティーというんですけども、これについて研究したいと思いました。

 あと、そうですね、大学に入ってから、女性ということで絡めていくと、大学1年生のときは同じクラスに女性1人でした。ええっ?ていう感じですよね。それまでやはり半分ぐらいは女性の中で生きてきて、工学部に入学して名簿を見たときに、女性と思い当たる名前が1つしかない。これ、ちょっと衝撃的な事件、私にとっては事件でした。それから時は流れて4年生の講座配属前、ある先生が、そろそろ研究者になる覚悟をしてくださいとおっしゃられたんですね。研究者になるのには覚悟がいるのか、ちょっと目から鱗が落ちる思いでした。キラリティーがやりたいということで、不斉合成か光学分割か、野依先生がやられているような右手と左手の分子の片方だけを作る不斉合成か、右手と左手の分子が混ざっているものから片方だけをあとから分ける、作ってあとから分けるための材料を作る光学分割かということで、私は光学分割を選んで希望通り講座配属されました。私たちの時代には応用化学では100人中15人ほど女性がいました。その前の年までは5人とかですね、一桁の数だったんですね。それで15ぐらいある講座に女性はそれまでは1人ずつ配属、女性が2人重なってはいけないっていう規則があったんです。でもそれは私たちの女性の先輩方がいろいろ働きをかけをされて、私たちの学年からはその規則は撤廃されました。15講座あって15人女性がいたら1人1人入らなければいけない。そんなことはおかしいですよね。

 これ、ちょっと話が飛ぶんですが、先日、愛知淑徳高等学校に行って『専門家に聞く』っていう総合学習で話をしてきました。大学の工学部の宣伝をしてこいということで行ってきたわけなんですけども、これはそのときに使った資料です。キラリティーの話の説明です。Bさんが左手を出したとき、Aさんは左手で握手しますか?右手で握手しますか?左手を出されたら左手を出しますよね。右手だと重なっちゃうんです。これは左手と右手が、先ほど話しましたけども鏡像の関係にあるからなんです。たとえばグローブを出されたら、グローブも右左がありますから、たとえば右利き用の人がはめるグローブは左手にはめますよね。左手にははまるけど右手にははまらないんですよね。強引にはめようと思えばはまりますが。これはグローブに右左があるからなんです。それでは、軍手は?軍手は、右にも左にもはまりますよね。高校生に言ったら、でもイボイボが…、っていわれました。イボイボがある軍手は今、考えちゃダメって言ったんですけど、軍手はどっちにもはまるでしょ、これは軍手に右手と左手がないからですね。さっきのキラリティーっていうのは、こういう話なんです。

 たとえばグルタミン酸の例なんですけど、グルタミン酸も鏡像の関係が存在する分子です。グルタミン酸の2つある分子のうち片っ方はおいしいんです、食べたら。でも片っ方はおいしくないんです。こういう鏡像体で生理活性が異なるもの、おいしいおいしくないだけであったらいいんですけど、たとえばですね、このドーパっていう薬は片方はパーキンソン病の薬で、片っ方は活性がない、飲んでも効かないんですね。さっきのサリドマイドもそうなんですけども、ナプロキセンなんていうものの場合、一方は薬なのに、一方は飲むと副作用が生じるんです。普通にこういうのを作ったら必ず右手と左手の混合物ができてしまうんですね。で、私は、こういうものを分ける、右手と左手一緒にできてしまったものを分けるための材料を作るということを今、やっているわけなんですけども、大学1年生の時に、これだっ、て思ったことを、今でもずっとやっているわけです。

 結局サリドマイドっていうのは右手と左手の混合物として売り出してしまったために奇形児が生まれてたわけですね。一方だけでも問題があることが、あとからわかるんですが、それは話が複雑なので置いておきます。サリドマイドは今、日本では売られていませんが、最近またちょっと話題に出てきています。それはなんでかというと、例えば癌ですね、骨肉腫とか、そういう病気の薬になることが分かってきたんです。なんでかというと、がん細胞が成長していくときには、栄養をいっぱい取り入れるために、ばーっと新しい血管ができます。そうして癌細胞は成長していくわけですが、一方、サリドマイドは、血管が新しくできるのを阻害します。ですから妊婦さんが飲んでしまうと、胎児が成長するときに血管が作られず、手や足が短い赤ちゃんが産まれてしまったわけです。それが今はがん治療に効果的であることが分かって、アメリカでは売り出されているんです。まぁそういった、キラリティーの世界に興味があって、今、こういう道をずっと歩んでいるわけです。

 どんどん時は進んで修士課程修了、就職か進学か、皆さん悩まれる人もいると思うんですけど、ある製薬会社から、こういう分野を研究している学生さんがほしいんですけどっていう話があったんですね。研究室に。うちは女子でそういうことをしている学生がいる、と先生が言ったところ、会社から女性は採りませんっていわれたんですね。その時に初めてですね、女性だからといって進めない道、進めない道って言っちゃ、おかしいんですが、こういう差別があるんだなというのを経験しました。私自身は最初は就職しようと思っていました。行きたい化学会社があって、そこを受けようと思っていたんですけど、その時、学科では、同じ学年で同じ化学会社に行きたい学生が3人いたんですね。学科からは1人しか推薦しませんということで、3人であみだくじをしました。見事に負けました。その時に口惜しくなかったんですね。まだ今の研究を続けたいってちょっと思ったんです。

 それで結局、博士課程に進むことになるんですが、また3年後、今度は、企業に行くかアカデミックに進むか、その都度、私は、なんでしょうね、優柔不断というか、毎回毎回悩んでました。毎回毎回、悩んで誰かに相談して、どうしようどうしようって、優柔不断な道を歩んできて、とても先ほど話された先輩方のような状況とは比較にもならないんですけども、結局、そのまま助手として採用していただくことになりました。その前に、学術振興会のポスドクを少しだけしてました。助手になってしばらくして、ある大学のある先生が言った言葉が伝わってきたんですけど、とうとうあそこの研究室も女性を採るようになったか、と。すごく口惜しい思いをしました。まだまだこういうこともあるんですね。そして、今年の4月から講師に採用していただきました。講師に採用していただいてですね、これもやっぱりちょっと悩みました。というのはちょうど自分のついてた先生が、3月で退官されたんです。ちょうど私にとってもこの研究を始めて10年ぐらい、やっぱり10年がなんかこう、切れ目なんですね、先ほどのお話を聞いていても10年というのが一つの区切りになることが多いかと思いますが、そこでこのままこの道を進むのか、もっとほかの道を進むのか、悩みました。でも私の場合は自分でつかんだというよりは、ほんとに機会に恵まれたと思うんですが、講師としてそのままの研究室で採用していただくことができました。

 そうですね、私にとって好きなことに出会えた瞬間っていうのが、やっぱりあったわけですよね。これを今まで続けて来られたというのは、とても幸運だったと思うんです。10年たった今、これから自分で道を開いていかなければならないなということを強く感じています。ちょっと余談なんですが、パンフレットの裏にも書いてありますけども、現役ソフトボールプレーヤーであると、これは大げさなんですけど、実はアテネオリンピックに刺激されてソフトを始めました、というか、昔からやってたんですが、ここ10年ぐらいやってなかったんですけども、春日井市の社会人のチームでソフトボールを始めました。実は高校進学の時に、普通に進学をするかソフトボールで進学するか、迷ったんですね。昔から迷いが多いんです。でも、その時は迷ったというよりは両方やりたかった。両方やりたかったのでソフトボールでの進学はあきらめました。けがが多く、私は一生ソフトボールを続けていけないだろうっていう思いもあって、ソフトボールでの進学はあきらめたんですね。でもアテネオリンピックに刺激されて、また始めちゃったんです。まだできる、まだわたしならできると思って。その社会人チーム、ママさんチームなんですが、実業団でやっていた人がたくさんいるような強いチームです。春日井市でも一番強いチームです。今、こういう世界にいると、本当に限られた人たちとしか知り合えない。今こうして、ソフトを社会人のチーム、いろんな職業を持った人たちと始めて、また一つ自分の世界が広がったなということを感じています。で、この高校進学の時にソフトボールでいけたっていうのが、奇しくもさっきの淑徳高校だったんですね。淑徳高校に行って授業をして帰る時に、淑徳のソフトボール部がソフトをしてたんですよ。それ見たときにちょっと涙が出てきたんですね、自分の夢をここであきらめてしまった、という後悔ですね。自分がここでソフトをやっていくという夢をあきらめたっていう想いからだと思うんですが、涙が出てきたんですね。この年になって、高校生がソフトボールをしているのを見て。でも、ソフトボールでの進学を選ばずにここまで来たんですけども、それはそれで得られた道がありました。でも、先ほどの話、いろんな先輩方の話にもありましたように、皆さんには夢をあきらめてほしくはないと思うんですね。いろんな道があると思うんです。確かに、どんな道に行っても自分が頑張ってさえいれば道は開けてくるとは思うんです。それでも、好きなことだったら大変なことでも頑張れる、それは本当に私もそう思います。今、結局私は、化学の道を歩んでいるわけですけど、これも好きなことだから続けていられるんだと思うんですね。ですから皆さんに女性だからといって夢をあきらめてほしくはない、女性だから諦めなければいけない、ということがあるのはおかしいんだと思います。これからいろんな道があると思うんですけども、頑張って、先ほどの話しにもありましたように、一生懸命、命を懸けて頑張るぐらいの努力をすれば、必ず道は開けてくると思うんですね。心から、皆さんに頑張ってほしいと思います。

 最後に、先日、淑徳高校から、授業を受けた生徒さんの感想が送られてきましたので紹介します。私はこれを読んで、高校生に励まされました。例えば、『化学の話を聞いて、初めてちょっと面白いかなと思った。』これはちょっと嬉しかったですね。それから、『人生っていろいろあるなって改めて感じました。』そんな人生いろいろあるって話をした覚えはないんですが。それから、どうも私は楽しそうに授業をしていたらしいんですね。で、『話をしてる山本さんがとても楽しそうだった。』改めてここで自分が化学というものを好きだってことをまた一つ気付かされました。『将来のための今について深く考えさせられました。これから先、何か投げやりにしそうな時には、今日のこの気持ちを思いだして自分の仕事について笑顔で語れる日を目指して頑張っていきたいと思います。』高校生が書いた言葉なんですけども、私もこれを見てですね、さらにまた10年後、楽しそうに自分の仕事を語れるような10年、10年もそれから先も送っていきたいと改めて思いました。ここに来ている皆さんもこれから先、自分の仕事について笑って楽しそうに話をできるような、そんなこれからの未来を自分で切り開いていって欲しいと思います。私も頑張りたいと思います。大した話ではありませんが、以上で終わらせていただきます。(*拍手)


(金井)ありがとうございました。今さっき、迷いが多いという話ですけども、迷いが多いというより、一つに決めるということはもう一つ選ばないということですし、決めて進んだ先にまた選択肢が出てくるっていうのは、まさにキャリアそのものじゃないかなというふうに思いました。ありがとうございました。それですっかりお時間が伸びてしまったんですが、大体考えながら思ったんですが、すごいいい企画なんだけど、先生方に人生を語っていただくには短すぎたなーと、企画ミスです、どうも申し訳ありませんでした。
 このあと、隣のお部屋の方にこの趣旨に賛同した先生方、それから日本女性科学者の会の東海支部の先生方から、もう実はカンパをいただきまして、ちょっとお茶とお菓子を用意しています。それをちょっと召し上がりながら、いろいろお感じになったことも多いと思うので、意見交換したいと思います。どうぞお移りください。(*終了)


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